長年親しまれていた柏原市青少年教育キャンプ場の突然の廃止から、その代替案とも言えるほとんど人が行くことのない裏山のゴミ処分場跡地に建設された「自然体験学習施設」は、誰が考えても疑惑にまみれた「竜田古道の里山公園」に蓋をかぶせることを目的とした、悪党一派の策であることはあきらかである。
この疑惑隠しの策がいつ始まったのかを検証していくと、柏原教育委員会議・審議の会議録にしっかりと記されている。現在、この教育委員会の委員長は、当時、百条委員会による調査の対象となった「NPO法人柏原ふる里づくりの会」理事長の三宅義雅氏である。
O 自然体験学習施設完成記念式典/市議会フェィスブックから
一連の疑惑を何も解決しないまま、全てのツケを市民に負わせる形で
疑惑まみれの竜田古道の里山公園内に完成を
させてしまった施設の完成記念式典で
マイクを握っているのは
百条委員会でこの問題を追及していた奥山議員である。
はたして彼はどういう思考で式典のあいさつをしているのだろうか!!??
こんなことを一般市民の目に見えないところでやっているのだが
何とも異様な村政治の構図である。
これが大阪維新の会・中野隆司市政の正体である。
ちなみに「NPO法人柏原ふる里づくりの会」は、現在進行中の3つの事件が絡む疑惑まみれの竜田古道の里山公園裁判で、実質的な被告の立場として被告柏原市長の相手方となる立場にあるが、その当時の理事長が、現在の柏原市教育委員会・教育長の三宅義雅氏である。
上記の完成記念式典が行われているのは、ゴミの最終処分場として3市のゴミが埋め立てられた跡地である。埋め立てが満杯となり、その後の対処として、ゴミ埋め立ての山を自然の山に戻すべく建設をされたのが竜田古道の里山公園である。
現場は裏山の傾斜地の谷を最終ゴミで埋め立てたものである。柏原市民のほとんどは知らないが、隣町の奈良県三郷町側から見れば、埋立地の一番下の部分はまさにコンクリートブロックを積み上げたピラミッドである。しかもこのコンクリートブロックの中身はゴミを固め込んだものである。いずれ大地震の際の地滑り災害や、ダイオキシン流出などの環境問題が出てくることが十分に予想される地域なのである。
O 昭和49年から平成10年まで利用された第2期最終処分場跡地
(雁多尾畑地区)
悪党一派にとっては、そんなことより疑惑に蓋を被せなければならないよほどの事情があると推察されるが、それを承知でこの「まち」のOO議員どもは、このバカげた疑惑隠しの策を一体となって進めたのである。
しばらくは所管の教育委員会が必死になってこの跡地に人集めをするだろうが、所詮、現場は、裏山の不便な場所であり、ほとんど人が行くような場所ではないことは、先の疑惑まみれの竜田古道の里山公園建設の失敗で思い知っているはずである。
そこに性懲りもなく、疑惑隠しの「自然体験学習施設」を、またまた建設してしまったわけでる。ほんとうに懲りない面々である。ほんとうに「OOにつける薬はない」とはこういう連中のことを言うのであろう。
すべては市民の無関心を利用した前政権からの流れであるが、これらのツケは何も情報を与えられないまま、何も知らずにいる市民の側にまわってくることになる。疑惑まみれの誰も行かない裏山のゴミ処分場跡地にパイプ椅子を並べ、呑気に記念式典をやっているが、いずれ自身のバカげた行動を恥じる時がくるはずである。
またこれまでの柏原恥政の検証では、税金垂れ流しの無駄行政がどうやって進められているのか、その稚策の手法がほぼ解明が出来ている。半世紀も昔から続く行政協力委員制度を中心とした歪んだ村政治は、今も、何ひとつ変わっていない。今後、事例を挙げながら、まさに役所天国とも言うべき腐蝕の柏原城の、腐った実態を公開していきたいと思っている。